ロマンチストでエゴイストでナルシストだった20代
――現在に至るまでのキャリアについて伺えますか?
大学進学を機に富山から上京し、東京大学を中心としたビジネスコンテストを主催するインカレサークルに入りました。有名になった出身者には、ユーグレナ・出雲社長や、ラクスル・松本社長、クラウドワークス・成田副社長、ユニコーン候補と言われるオクトの稲田社長などがいます。田舎の高校生だった僕はビジネスをやりたいと考えていたわけではなく、著書を読むなかで出雲さんに憧れ、「東大に入ったらこの人のサークルに入ろう」と考えていただけでした。
ただ世は「ホリエモンブーム」「ITバブル」で、サークル創始者の会社でインターンをしていたこともあり、大学4年生のときにウェブマーケティングの会社を立ち上げることになりました。これが2005年のことです。いちばん大きいときで30~40人くらいの所帯だった会社を続け、地元でNPOをつくったり、友人の会社経営を手伝ったりしながら20代を過ごしました。
振り返ると、20代前半で会社をつくった僕は、ロマンチストであり、エゴイストでありナルシストでした。もっと社会のためになる、世の中を変えられるようなビジネスをつくりたいと思っていたし、自分にはそれができるという万能感みたいなものがあったのですが、自分よりも活躍する後輩たちを見て、どうやら違ったらしいと気がついたのです。30代に差し掛かったとき、社会人として修業をし直さないといけないなと感じるようになりました。
当時は経営者としてfreeeのユーザーだったのですが、Googleの遺伝子を継ぐ人たちの企業でなら、いろいろなことを学べるだろうと思い、ふつうにエントリーし、面接を受けて入社しました。入社後は、販売パートナーの開拓を経験することになります。
――アライアンスを組むためのセールスですね。経営者から営業担当者になっていかがでしたか?
経営者は実にさまざまな業務を行うのですが、そのなかでも自分の強みだと思っていたのは「セールス」でした。ほとんど自己流でしたが、野生で培ってきた経験が意外と活きるものだなあとまずは実感しました。freeeは共有されている価値観が明確で、それを体現していれば比較的自由に仕事ができたので、社長として営業をやっていたときと変わらなかったです。現場は本当に楽しいですよね。営業、大好きです。