質で勝負するしかない営業からスタート
――ベルフェイスの共同創業者としても活躍されてきた田中さんは、昔から事業を立ち上げるようなことを志されていたのですか?
学生のころは起業するとはまったく考えていませんでしたね。小学生のころから野球をやっていたのですが、チームプレーよりも、どちらかというと自分個人の成果やコンディションを大切にしている子どもでした。ですので、当時は友達が少なかったかもしれません。
スポーツが好きなのは、成果が出るのが嬉しかったからです。体格がいいほうではないのですが、ストイックに練習をすれば、「代表に選ばれる」とか「県大会に出場できる」という成果につながります。小学生のころからイチローとかプロ野球選手が好きで、メンタルトレーニングが好きでしたね。そんな感じで、他人とのコミュニケーションのとり方をあまりわかっていなかったので、営業をやるとも思っていませんでした。
ただ、社会に出ると人がたくさんいるので関わらざるを得ないなと思い、営業という職種を選びました。自身の関心のある「メンタル・精神」の領域にも携わりたかったので、大学卒業後、中枢神経領域の製薬会社・最大手のグラクソ・スミスクラインに入社したのが社会人のスタートです。
――実際に営業活動をしてみていかがでしたか?
「喜んでもらう」という経験は楽しかったです。営業としてのスタートが製薬業界だったことは振り返ると非常に良かったです。なぜなら薬価は国が定めているため、「値決め」や「値引き」ができないのです。さらには、薬事法違反になりますので、「治ります」というような過大発言も違法です。営業先であるエリアのお医者さんの数は決まっていて変動しません。つまり、営業先の数や提案金額、営業トークなどさまざまな制限があるなかで、どう売上を上げるのかと考える経験を積むことができました。質で勝負するしかない営業からスタートしたのは自分にとってすごく重要なことでした。
――営業の楽しさを知り、独立して営業を生業にされるのですね。
「事業を創る」という考えはここでもまだなかったのですが、自分が営業をすれば売れる・儲かるとわかっていたので、代理店として携帯やFXなどさまざまなものを販売していました。いちばん売れていたのは、CDと本で120万円ほどする能力開発のプログラムです。
その後、「日本の社長.tv」という経営者メディアを運営するベンチャー企業に営業統括の取締役としてジョインします。インサイドセールスやMAの考えかたを駆使し、2年半ほどで5,000社以上を新規開拓しました。