「人生を前に進めるためにはたらく」営業職への挑戦
──梶谷さんは大学で化粧品の研究をされていたそうですが、なぜ未経験の営業職、それもリクルートを目指されたのでしょうか?
きっかけは、リクルートに入社した先輩の存在でした。当時のリクルートは「3年経ったら起業したい!」「女性起業家になりたい!」という方々が大勢いて、その環境で活躍する彼女の姿にカルチャーショックを受けたんです。
私自身、私が0歳のころから母が働いていたことや、高校時代の恩師が「女性こそキャリアを前に進めるべきだ」と常々口にしていたことから、女性がキャリアを積むのは当たり前のことだと思って育ちました。そうした素地があったうえで、会社に雇われるのではなく「自分の人生を前に進めるために環境を活かす」という主体的な姿勢に惹かれ、私もリクルートを目指すようになったんです。
実は先輩に再会した当時、すでに化粧品メーカーの研究職や企画職で内定をいただいていました。でも、どこかワクワクしきれない自分がいたんです。
なぜかと考えたとき、ひとりで黙々と成果を生み出すより、学生時代のチアリーディングで経験したような、仲間とひとつの目標を成し遂げる環境で本領を発揮できるタイプだと気づきました。チームで成果を出す営業職のほうが、自分の強みを活かしながら社会に良い影響を与えられるのではないかと考え、思い切って内定を辞退し、営業の道に飛び込みました。
リクルートMVPが直面した「売れない」壁
──リクルート入社後は、中途メディア事業部でクォーターMVPを受賞するなど素晴らしい実績を残されています。当時はどのような営業スタイルだったのでしょうか。
正直に申し上げると、当時は「頑張れば何でも叶う!」と自信に満ち溢れていました。3ヵ月で1,000万円という数字を上げ、社内でも評価されていましたが、今振り返れば、本質的な課題解決の提案ができていたわけではありません。お客様に「可愛がってもらう」「好きになってもらう」という、いわゆる「人間力」で売っていたんです。どこかで「これで良いのかな」という不安はありましたが、結果が出ている以上、それが自分の武器だと思い込んでいました。
──人間力も重要なスキルのひとつとは思いますが、その成功体験がのちに「壁」となったのですね。具体的にどのような変化があったのでしょうか。
転機は名古屋への異動でした。名古屋は大手の競合も多く、既存の取引をひっくり返す「リプレイス」が求められる非常に難易度の高い市場です。加えて「一見さんお断り」のような文化もある中で、東京時代に武器としていた「可愛げ」だけでは通用せず、論理的な提案による信頼構築が求められました。
しかし当時の私は、トップセールスだった自分が売れないという事実を認められませんでした。「なぜ売れないんだろう」とひとりで抱え込み、誰かに教えを乞うことも恥ずかしくてできなかったんです。今思えば、かつての成功体験をアンラーンできなかったことが、売れない壁を乗り越えられなかったいちばんの要因でした。
その後、結婚を機にリクルートを退職して東京に戻り、リクルート時代の同僚だった大矢(現SaleSeed代表)が立ち上げた人材系スタートアップ企業に入社しました。名古屋時代にぶつかった壁は克服できていませんでしたが、過去の経験を基に成果を出せたことで「やはり、私のスタイルで売れるんだ」という思いを深めてしまいました。

