IT企業は寺院が困っていることに気づいていない
――現職に至るまでのキャリアをお聞かせください。
長野の信州大学で機械を学び、卒業後はリコーに入社し、エンジニアとして商業系印刷機の部署に在籍していました。そんな中、寺院の一人娘であった妻と結婚する運びとなり、「寺院を継いでほしい」と告げられます。この言葉をきっかけに、2011年、リコーを退社し修行をスタートさせました。足掛け3年ほどの修行期間を経て、現在は長野県塩尻市の善立寺で副住職を務めています。善立寺での法務の傍ら、2016年以降は「寺院デジタル化エバンジェリスト」を名乗り、活動を行っております。
――「寺院デジタル化エバンジェリスト」として活動するに至った経緯、そして活動内容を教えてください。
寺院にはさまざまな困りごとがあるものの、ソリューションを提供するIT企業の方々は、我々が事務作業やデータ管理、情報発信などで悩んでいることをご存知ないんです。そこで、私が寺院の方の困りごとを代わりに発信しつつ、IT企業からの寺院への提案の間に入る、いわば橋渡し役を務めています。
「エバンジェリスト」を名乗るに至ったきっかけのひとつは、「Evernote」です。会社員時代から愛用していたのですが、副住職になってからは法話の原稿を保管したり、法要のしつらえ(本堂の飾りに関する写真、椅子の配置など)や自分用のマニュアルデータを作成したりするなど、たいへん重宝していました。あまりにも好きだったため、自らEvernote JapanのFacebookアカウントに活用方法を発信したところ、「まさかお坊さんが活用してくれているとは思わなかった」と、先方の公式ブログに取り上げていただいたのです。記事が公開されて意外だったのは、同業者からの反響が大きかったこと。「皆同じようなことで悩んでいたのか!」とそのときようやく気づきました。
しかし、IT企業の方々は我々が困っていることに気づいていない。袈裟姿でIT関連の展示会に参加すると、誰からもチラシやノベルティを手渡されません。意を決して興味のある会社のブースに足を運び、サービスに関して質問したところ、「これ、マウスって言うんですけど……」と開口一番にダブルクリックの説明をされたこともあります(笑)。いまだに筆と紙の世界に生きていると思われてしまっていると同時に、「お客さんとして見られていないのだなあ」と感じた瞬間です。この差異をどうにか埋めたいと思い、2016年ごろから「寺院デジタル化エバンジェリスト」を自ら名乗り始めました。誰かが先頭に立ち、音頭を取って「困っています」と大きな声で主張する人が必要だと思ったんです。
――現状、寺院が置かれている現況、ならびに抱えている課題を教えてください。
寺院は家族で運営している場合が大半なのですが、資金不足ゆえに人件費をかけられないケースが多いです。加えて、本業だけの収入では食べていけない全国のお坊さんは、全体の半数以上と言われています。そのため、サラリーマンや公務員として平日を過ごし、土日でお坊さんとして働く、という方は珍しくありません。お坊さんになったと伝えると「外車を乗り回す裕福な暮らしをしてるのでしょう?」と言われることもありますが、そのような方々はごく少数です。
外部から人を雇えないということは、「24時間365日、すべてひとり、あるいはふたりで運営し続けなければいけない」ということ。お坊さんとしてのお勤めだけでなく、情報管理や会計業務、檀家さんとのやりとりや電話・FAX対応、お坊さん同士の会議への参加はもちろんのこと、「宗教法人」であるがゆえに経理や行政対応もこなさなければなりません。家庭の予期せぬ事情――突発的な子どもの熱やケガ、はたまた親世代が介護が必要になった場合には、途端に立ち行かなくなってしまいます。
寺院は人口に依存している産業です。少子高齢化社会が加速する20年後の日本の人口では、寺院の3分の1が運営できなくなると言われています。企業であれば、需要が無くなった場所からは引っ越しをして、より人口が多く、需要高い地域に引っ越すことができますが、寺院はなかなかそうはいきません。地域から忽然と姿を消してしまうわけにもいかないため、住職がいなくなってしまった寺院は、ほかのお坊さんが管理をしなければなりません。
人口の減少により寺院の収入が減り、お寺の収入だけでは生活ができないため、平日は公務員やサラリーマンとして働く。これに加えて、場合によってはひとつでも大変な寺院の管理を掛け持たなければならなくなり、いっそう大変になる……。こうした同業者たちをオーバーワークから救うべく、お坊さんとしての本職は減らさずに、IT活用を通じて事務作業にバッファを設けましょう、というのが私の考えです。
寺院は、実はお医者さんより過労死予備軍が多いと言われています。2018年に掲載されたNewsweekの記事では、週75時間以上勤務で月の残業時間100時間以上のいわば「過労死予備軍」と呼ばれる職種として、医者・教員と並んで「宗教家」の文字がありました。医者や教員に対しては「このような状況は打破しなければならない」と1つひとつコメントが綴られており、「『宗教家』に関しても『濡れ手で粟で丸儲け』ではなく、実情に沿った話をしてくれるだろう」と期待をしたものの、「仕事と生活が一体になって公私を分けづらいのかもしれません」。このひと言で終わってしまっていました。ただ待っているだけでは、私たちが困窮していることを誰も解決してくれない、と気づいたことが本格的な活動を始めたきっかけです。