2015年に参加した海外カンファレンス「Sales 2.0」の衝撃
──現在のお役割について教えてください。
エンタープライズ事業本部副本部長として営業とプリセールス、マーケティングを統括しています。エンタープライズ事業本部には、主に1,000億円から5,000億円規模の製造・流通・金融業のお客様を担当するアカウント営業たちが所属しています。お客様のDXを支えるインフラ領域などのソリューションをさまざま提案しています。
私は1997年に日商エレクトロニクスに入社し、営業やマーケティングに携わってきました。現場の営業のころは、同期と比べてもそんなに売れる営業ではなくて。先輩たちを見ていても、当時の売れる営業はコミュニケーション能力が高く、センスがある印象でした。昭和ですから「見て盗む」しかなく見よう見まねでやっていましたが、センスはないかもしれないなと感じていました。
──時代によって「売れる営業像」が違ったのかもしれませんね。榎本さんは2015年ごろに、Sales Techやセールス・イネーブルメントという言葉に出会われたとうかがっています。
当社の営業スタイルはいわゆる「プロダクト営業」でした。海外から素晴らしいプロダクトを輸入し、良いものだから売れる──とはいえ、日本でも2015年ごろには「これからは課題解決営業が必要だ」ということは言われ始めていました。
私は2009年から2012年までシリコンバレーに駐在し、新規事業開発を担当しておりました。日本で流行りそうな、ビジネスになりそうなスタートアップにアプローチし、日本進出を支援するなかで、Salesforce、Hubspot、Marketo(現在Adobe)などと出会いました。2015年はちょうど営業部長としてサンフランシスコで開催された「Sales 2.0」というイベントに参加し、そこで衝撃を受けたのです。
「Sales 2.0」では、「ソリューション営業の終焉」「インサイト営業」「ビジョンセリング」そのような新しい言葉が飛び交っていました。もっとも印象に残ったのは、「Sales is Science」という言葉。これまで芸術(Art)だと思っていた「営業」の仕事が、実はロジカルで再現性のあるもので「教科書をつくることもできる」と知りました。
──当時の日商エレクトロニクスさんはプロダクト営業だったという話もありましたが、2015年ごろは具体的にどのような営業課題があったのでしょうか。
当時のマーケティングはプロダクトマーケティングを行う組織でした。カタログや事例をつくって、展示会に出て、リードを創出し、直接営業にパスをする。いわゆる「デマンドジェネレーション」の機能がなかったのです。時を同じくしてガートナーのレポートを読む機会を得たのですが、そこでは「セミナーに100名集客したとして、いまちょうど買いたいという人はひとりからふたりいれば良いほう。一方で、セミナーにくるほどの状態の人たちの多くは2年以内に必ずどこかで購入をしている」ということが書いてあり、いわゆるKeep in touchの重要性をあらためて感じたんです。
そこで、マーケティング組織の配下に、「お客様の温度を上げる」「お客様とつながり続ける」組織としてインサイドセールス(SDR)を立ち上げました。