「薄い営業トークでビジネスは動かない」と広告から教わった
――まずは、ウェブ業界でお仕事をされるようになったきっかけから教えていただけますか?
学生のときは、デザインを学んでいました。大阪出身で、大阪のデザイン事務所からキャリアをスタートしました。地域密着型でしたので、お隣の焼き肉屋さんのチラシや近くの工場のウェブサイトをつくるなどしていて。それが2001年くらいで、ウェブの世界での最初の仕事ですね。
サイトが完成した暁には、より多くの人に来てもらいたいという要望が出てきて、GoogleやYahoo!の検索に引っかかるようなSEO対策が必要になってきます。そして、2003年あたりにお客様からも「検索キーワードと連動して出てくるこの広告は何?」と聞かれるようになり、デザイン・制作会社といえどもお調べして、リスティング広告を運用する必要が出てきました。
デザイン事務所では3年ほど働いていたのですが、ウェブについて学ぶためには、大阪で地域密着型の仕事をしている場合ではないなと思い、上京を決意しました。裸一貫で仕事も決めずに出てきたのですが、ネット専業の広告代理店ですぐ採用されました。しかし、アルバイトでの入社だったんですね。会社としてはカジュアルに採用したと思うんですけど、僕は目が血走っていて(笑)。「働かせてくれないと死んでしまう」「正社員にさせてくれ」という前提で働いていて、アルバイトなのに毎日スーツで出社していました。
――そこではどんなお仕事をされたのでしょうか。営業職のようなことも経験されましたか?
GoogleやYahoo!の広告パフォーマンスをレポートし、ファイリングする仕事からスタートしました。晴れて正社員になってからは広告のパフォーマンスを上げる「コンサルタント」という仕事に従事しました。
僕は、営業とコンサルタントという言葉が、密接に関係している気がしていて、よく考えるんです。コンサルタントのチームは顧客と向き合い、会社の利益を生むための仕事をしていたんですね。別に営業のチームもあったのですけど、「していることは請求書を発行することじゃないか?それは営業だっけ」と思うこともあり、コンサルタントである自分が営業活動をしているような気持ちもありました。
営業という言葉の定義のひとつに「モノを売る」という定義があるとすると、売っていたと思えます。しかも、スペシャリティな知見を持って売っていかなくてはいけない。
――私としては、いま営業が変わりゆく文脈のなかには「モノウリ」だった時代の反省と「ソリューション営業へ変化していきたい」という想いがある気がします。清水さんは最初からソリューション提供こそ営業だと思われていたということでしょうか。
言い方は難しいのですが……。「薄い営業トークをしてもビジネスは動かないよ」ということを広告の商材自体が体現していたんです。「モノ売りの思考ではいけない」ということを、GoogleやYahoo!、そしてFacebookなどが教えてくれたんです。
――ウェブサイトの飛躍でBtoB顧客の行動が変わり、営業も変わっていくべきだという話もありますが、まさにウェブの仕事をされていた方は少し早めに気づいていたんですね。