バンド活動からITビジネスの世界へ
――10年間の音楽活動を経てIT業界に飛び込んだきっかけを教えてください。
20代は売れないバンドマンとして過ごしていたのですが、ライブに出るにもチケットノルマがあり、音楽活動にはお金がかかるんですよね。平日にお金を稼いで、夜や週末にライブや曲づくりの時間を確保できるという理由から、派遣社員として働いていました。そこで、AccessやExcelのデータをVBAで組み合わせてパッケージをつくり、さまざまな会社のレポーティング業務を改善していく仕事をしていたのがIT業界への入口です。
当時はITの知識やスキルを持っていたわけではなく、バンド活動を中心に据えて、どうやったら効率的にお金を稼げるかということを考えていました。
――その後、本格的にIT業界に身を移していくことになったんですね。
はい。バンドが解散して、そのときに派遣先として勤務していた外資系の企業から「社員にならないか」と声をかけてもらったんです。
最初はそこでもレポーティングの改善業務をやっていました。良い雰囲気の会社で楽しく働いてはいたものの、それまで音楽の道に傾倒していた僕としては、ビジネスの世界でやっていく踏ん切りがつかず、中途半端な状態だったんです。
そんなときに恩師と出会ったのが大きな転機でしたね。チームビルディングを目的としたオフサイトミーティングがあり、恩師となる人と同じチームになりました。チームに分かれてビジネスゲームを行い、僕の考えた思いついたアイディアがはまって逆転勝利したんですが、それをきっかけに仲良くなって。
外資のIT部門では、決められた仕事をローカルと本国の板挟みになりながらやっていく中間管理職的な業務が多いのですが、恩師はその前例を打ち崩して、国内のビジネスを加速させるためのDXに取り組んでいました。まだDXという言葉が一般的ではなかった2010年ごろから、ゼロから試行錯誤し、最終的にはビジネスサイドの部署にも共創の輪を広げ、本国から異例の特別予算をもらえるような活動にまで進化させていったのです。
――現在の日本企業も苦戦しているDX推進を当時から意識された非常にチャレンジングな職場だったんですね。
そうですね。今思えば、かなり先進的だったと思います。その姿に「ビジネスでも音楽と同じような情熱を持てるのかも」と気づかせてもらいました。その後の業務としては販売計画やサプライチェーン、BIの領域の業務改善、恩師が取り組んでいたDXの活動のPoC企画など、いろいろやらせてもらいました。
――サプライチェーンやDXのPoCときくと、高いIT技術が求められそうな印象です。そのあたりの力はどのように身につけられたのでしょうか。
会社のIT部門には、すでにIT業界で経験を積んできた、特定の技術やシステムに詳しい専門家が多かったんです。そのため、自分はビジネスサイドとコミュニケーションをとって、現場の声を拾って改善提案につなげていく、という動き方を意識していました。ここに自分の強みを見つけたことは今につながっていると思います。