手書きな「だけ」では意味がない
少し前のこと。郵便受けに1枚のはがきが投函されていた。「誰からだろう?」と見ると、地元の銀行からだった。しかも手書きでメッセージが書かれており、「お客様がくるのをただ待っている時代ではなくなったのだな」と感じたもの。
実は、この地元の銀行には「上から目線」というネガティブなイメージを持っていた。不良債権が少なく黒字の勝ち組銀行で「借りたければ貸してあげても良い。嫌ならほかでどうぞ」というスタンスだった。実際に窓口で冷たい対応をされ「もうちょっと良い言い方はないのか……」と思ったこともある。
しかし今は違う。少しでも迷っていれば、係りの人が「どうされましたか?」と優しく声をかけてくる。ちょっと手続きをしただけで“お礼状”が届く。かなりホスピタリティが向上している。もちろん営業活動もしっかりしている。「少しでも利益を上げよう」という気持ちが高まっているのを感じた。銀行でさえも、これほどのサービスをしているのだから、営業に携わっている者はさらに進化せざるを得ない。
接点を持ったお客様にお礼状を送る努力も素晴らしい。ただ、そのはがきを見て「もったいないことをしているな」と思った。実に残念な行為をしていることに、銀行は気がついていない。
私は営業のコンサルタントなのだが、専門は”書く力で売る”こと。この分野については、何冊も書籍を出しており、得意分野だ。だからどうしても欠点が見えてしまう。この銀行だけではないが、工夫されていないはがきを見るたびにもどかしくて仕方がない。
送られてきたお礼はがきには手書きで「このたびは当行をご利用いただきましてありがとうございます。またのご来場をお待ちしております」とメッセージが書かれている。おそらく「手書きのほうがより気持ちが伝わる」といった指導を受けているのだろう。これは間違いではないが、何の印象にも残らない。
最大の問題は“顔写真など、その人のことがわかるものが掲載されていない”こと。名前は書いてあるが“誰から送られてきたのか”がまったく思い出せないのだ。これは致命傷になる。はがきを受けとっても感謝の気持ちも生まれない。経費はもちろん、行員たちの労力も無駄になる。コスパ、タイパが叫ばれるなか、投資したものが無駄になってしまうのはダメージが大きい。
ではどうすれば良いのか? 好例を紹介しょう。