コンペで「負けた」ことがキャリアの分岐点
──佐藤さんのこれまでのキャリアについてお聞かせください。
実家が商売をやっていた影響もあり人と接するのが好きだったため、漠然と営業職に就くイメージを持っていました。加えて、私が学生だった当時は「Microsoft Windows 95」が発売されたタイミング。大学でもITに関する学問を学んでおり、IT企業の営業を目指す中で富士通に入社しました。富士通といえば、BtoBで大規模なシステムを提供する企業。そこで、エンタープライズセールスのキャリアをスタートしました。
それから現在に至るまでエンタープライズセールスの世界にいるのは、あるコンペで「負けた」ことがきっかけです。
総合商社向けの社内システムの営業を担当していたころ、以前からお取引きがあるお客様の商談コンペに参加しました。濃い関係性を築いている自負があったので、8社から3社まで絞り込まれた時点で「勝った」と確信していました。ところが受注したのは、日本市場に進出したての外資企業だったのです。
なぜ自分たちが負けたのか知りたくて、お客様に外資企業の提案内容をたずねたところ、非常に驚かされました。当時の日本企業では、お客様からいただいた要件に沿って提案・受注する営業スタイルが一般的。そのような時代に、その外資企業は提案先の総合商社が抱える経営課題にコミットする提案書をつくりこみ、10センチはありそうな分厚いバインダーにまとめて提案していたのです。
関係各所と調整をしながら手広く商品を提案するのではなく、特定の領域の製品に特化した営業が集中的にキーパーソンへアプローチする手法も新鮮で、自分もやってみたいと思い、外資企業に転職しました。商材がSaaSになるなどの変化はありますが、一貫して、特定の領域でキーパーソンに訴求するエンタープライズセールスに携わり続けてきました。
エンタープライズセールスは「プッシュ型」
──Salesforce時代には『THE MODEL』(翔泳社刊)の著者である福田康隆さんと同僚だったとうかがっています。
The Modelの概念はセールス業界に大きな影響を与えましたが、一部で“誤解”されているようにも感じています。
同書を読んだ方の中には、営業プロセスを分業するという本来の意味から転じて「マーケティング部署が生み出すリードを主体に売上を伸ばすモデル」と勘違いしている人も多いのではないでしょうか。たしかに、中小企業のセグメントにおいてはカバーする社数が多く、マーケティング部署が主導して大量のリードを獲得する戦い方が必要でしたし、有効でした。
一方、担当する顧客が限られるエンタープライズセールスでは、アカウントベースで直接キーパーソンへアプローチし、いかに関係性を構築するかが鍵です。どちらも分業しているものの、前者はプル型、後者はプッシュ型でリードを獲得している。入り口が違うので、その後の営業プロセスにおける動き方も自然と異なってきます。
海外でプロダクトを成熟させた外資企業とは違い、プロダクトが未成熟でリソースが少ないアーリーフェーズの国内スタートアップでは、SMBとエンタープライズ両方を一度にスタートさせるのは難しい。そのため、まずはマーケ主導で得たリードをもとにSMB営業に取り組み、キャッシュを蓄積していくのは理にかなっています。しかしここで、The Modelを「マーケ主導で獲得したリードで売上を伸ばす」ことだと勘違いしたままエンタープライズセールスに挑戦してしまい、売上が伸び悩む企業が非常に多いのです。エンタープライズセールスへの挑戦は、いかにプル型からプッシュ型へ移行できるかが鍵です。