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人間は「手段に夢中になりやすい」生き物
谷川 人間はそもそも手段に夢中になりやすい生き物です。たとえば、テスト勉強って不思議じゃないですか。本来は一定期間学んできたことを復習して、苦手な部分を把握するための手段なのに、いつのまにかテスト自体が目的になっている。
コミュニケーションで言えば、この十数年相手が言っている言葉をオウム返しする手法が流行っていますよね。「辛いんです」「辛かったですよねえ」というような……。ただしオウム返し自体は、傾聴を実践するときの手段のひとつです。相手の心が波立っているときなら、「あなたの味方である」ことを伝えることが大事なのに、オウム返しという手段自体に夢中になってしまう。
向井 手段やルーティーンに夢中にならないことって、意外と難しいんですよね。
谷川 まさに。たとえば「怒りを伝える」ことも本来は手段ですよね。「どれくらい相手がダメなことをしてしまったのか」「自分がどれくらい真剣なのか」を伝えることが目的です。「怒りによって相手をぎゃふんと言わせたい」と怒ること自体が目的化してしまった経験を誰しも持っているのではないかと思います。
向井 目的と手段をきちんと分けられないということは、これからの時代は目的をもってAIへ指示するプロンプトがつくれない、と言い換えられるかもしれませんね。
谷川 今後、人類が生きていく以上AIと向き合うことは避けられないでしょうから、重要なポイントになりそうです。
鶴見俊輔さんという哲学者が提唱した「親問題・子問題」というものがあります。子問題というのは「売上を上げる」「案件を増やす」というような、目の前にある解くべき問題。一方、親問題とは、自分の人生全体を貫くことになるかもしれないほど大きな問い。自分にとって大切なものについて考えるような問いです。子問題は、常に親問題を背景に持っているべきだと鶴見さんは考えていま した。そうでないと、そもそもの目的や趣旨を見失って、目の前の問題解決に夢中になり、手段が目的化してしまう。
現在の学校教育では、子問題ばかりを問うことが多い。そして、自分や他人の根本的な価値観やこだわり、つまり親問題について考えたことがある人のほうが、良い指示が出せると思います。これはAIでなく人間相手でも同じことですよね。そういう意味では、自分や他人の親問題に触れる経験を持っているかもこれからの時代に必要な観点だと感じました。